めもらんだむ

わりと個人的な、備忘録がわりになると思います

1つの、甘えの構造?

先日『さよならピアノソナタ』というライトノベルを読み終えた、というか、4巻+「encore pieces」というシリーズ構成になっていて、「encore pieces」は途中で読むのをやめてしまった。

 

文章とか描写はライトノベルの水準をかなり上回っているような気がして、引き込まれて読んでいたのだけど、3巻あたりからちょっと違和感が湧いてきた。

 

優柔不断で恋愛に鈍感な主人公と、彼に群がる魅力的な少女たち、という構図はライトノベルではごくありがち。『さよならピアノソナタ』 もその手の作品。

こういう作品の場合、主人公の優柔不断さ鈍さを作者が自覚していて、キャラのバランスをとってくれると読みやすいのだけど(そうした欠点を補って余りある魅力を出す、というような)、そういうのはなかなか難しいみたい。

 

それはそれとして、たまに 優柔不断さ鈍さを肯定的に描く作家がいる。詳しいことはわからないが、作家自身にそういう甘えたメンタリティーがあるのではないか、と考えている。

さよならピアノソナタ』の主人公は、自分の優柔不断さを何度も悔いるが成長しないし、鈍感さを自覚しない。作中で、人格として成長しないまま、女性からの好意に受け身に徹する。基本的に、与えられるだけの主人公と、もっぱら与え続ける少女たちという構図。主人公は、与えられるものからどれを選ぶかに苦悩するだけ。作者はそういうのを甘酸っぱく描く。

 

たまたま気づいたのだけど、2ちゃんねる個人情報流出事件で、作者の杉井氏が匿名で同業者などに対し誹謗中傷を繰り返していたことが発覚。

このニュースでは、『神メモ』作者となっていたので、気がつくのが遅れた。