めもらんだむ

わりと個人的な、備忘録がわりになると思います

学校でのいじめ自殺で、学校とか教育委員会が隠蔽しようとする裏の理由

学校でのいじめ自殺が発生したときに、学校とか教育委員会が責められる場面を多く目にする。「いじめ」の事実を隠蔽しようとしたから。

では、彼らがあっさり「いじめ」の事実を認めたとしたら、「いじめ」の責任は、環境を提供している学校(あるいは教育委員会)にあるのか、「いじめ」を行った生徒本人にあるのか。
それとも、自殺した生徒に原因があったとするのか。

考え始めるとわけの分からないことになってしまう。
「弱い個体や群れに適合できない個体が間引かれたとしても、それは自然の摂理だ」なんて意見が飛び出してくるかもしれない。
あるいは、いじめるような子供、いじめられるような子供を育てた親の責任論とか。

学校とか教育委員会が隠蔽するのは、第一義としては監督責任の追求を免れるためだと思うけれど、裏の意義としては、わけの分からない論争に至らないように、臭い物にフタをすることが目的なのではないだろうか。

それは、悪いことではなく、世の中の矛盾を懸命に取り繕おうとする、涙ぐましい努力なのかもしれない。